VOL.175 土佐路巡り9~吉井源太生家

 高知シリーズの最後です。吉井源太について、ご紹介します。
吉井源太(よしい・げんた) 
1826~1908・製紙改良技術家
1826年、高知県吾川郡伊野村(現在のいの町)生まれ。
家は代々御用紙漉きで、幼少より俳諧、南画を学ぶ裕福な少年時代を送りました。
紙漉きには並々ならぬ情熱をもって打ち込み、まず初めに大型簀桁を発明。
紙の生産量が一挙に二倍から三倍に上がったといわれるほどの成果をおさめています。
維新後、製紙に関する藩の束縛統制の撤廃によって、
水を得た魚のように活躍を始めます。明治初年には、
楮、三椏、雁皮混合の大小半紙といった新製品を各種開発、
さらに、経済性・防虫のため米糊に代え白土の使用を始めました。
また、精巧な典具帖紙の抄造など、数々の改良や技術の発明を世に送り出すとともに、
最期まで、全国の製紙技術の指導に全力を尽くしました。
その業績は、日本国内はもとより、アメリカをはじめ諸外国に認められています。
彼の著した「日本製紙論」は、今日でも一読の価値があります。
なお、出身地・いの町にある生家は、町の文化財として一般に公開されています。


■吉井源太 略年表

文政 9年(1826年) 伊野村に生まれる。
万延元年(1860年) 大型簀桁を考案する。
明治 7年(1874年) ヤネ入紙(インキ止紙)、郵便半切紙(コッピー紙)を発明する。
明治10年(1877年) 小ざるに針金を張り、簀に紗を敷く紗漉法(しゃすきほう)を考案する。
             第1回内国勧業博覧会に薄葉(うすよう)大半紙を出品し入賞する。
             (国内コッピー紙の元祖)
明治13年(1880年) 吉井源太の指導により、神谷(こうのたに)において
             勝賀瀬亀太郎(しょうがせ・かめたろう)がはじめて土佐典具帖紙を漉く。
明治17年(1884年) 静岡から三椏の種子を購入して伊野及び三瀬(みつせ)で栽培に成功               し、三椏紙を漉く。また、ネリとして使う、とろろあおいの栽培も広めた。
明治30年(1897年) 「日本製紙論」を著す。
明治33年(1900年) 吉井源太の指導で神谷村に典具帖紙組合を結成する。
明治41年(1908年) 没する。
http://www.tosawashi.or.jp/tosa/genta.html

 当屋敷では、源太の末裔に当たる老夫婦が管理人を務め、当屋敷を守っておられます。伊野和紙と源太について、いろいろと貴重なお話を伺うことができ、四国を誇りに思う気持ちが益々強まりました。Nikonで四国を撮る!決意を新たに致しました。
 また、雨足が強くなり、こちらの奥様が傘を貸してくださり、JR伊野駅まで送ってくださいました。吉井様ご夫妻、本当にお世話になり、ありがとうございました。息子共々、厚く御礼を申し上げます。
 なお、写真の方ですけど、部屋中央の座卓の上には貴重な和紙の資料等が置かれており、
動かすことができず、窮屈な姿勢で撮りましたので、中央とかがうまく取れておりません。申し訳ございません。

=撮影日:2007年8月7日=
1.
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2.
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3.
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Nikon D70/ニコンAF-S DX Zoom Nikkor ED 12-24mm F4G

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by shikoku-great1 | 2007-08-16 22:05 | 高知
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