2007年 08月 10日 ( 1 )

VOL.169 土佐路巡り3~岩崎弥太郎生家

 高知県の安芸市にあります。以前にご紹介したモネの庭に行く途中にあります。岩崎弥太郎は三菱財閥の創設者。明治の経済を支えた第一人者です。東京の方には、岩崎弥太郎邸の洋館があるみたいですね。行ってみたいです。

岩崎弥太郎の紹介です。
天保5年(1834年)、地下浪人岩崎弥次郎の長男として当時の安芸郡井ノ口村に生まれました。弥太郎はわずか10数歳で他人に漢詩を献じ、書を講じ、14歳の時に、13代土佐藩主であった山内豊照に秀才を認められます。そして21歳の時(1854年)、彼は単身江戸へ遊学に出ました。
生家には、幼少の弥太郎が大志を膨らませたという、日本列島を形どった庭石が残っています。
かなりの勉強家ぶりが伺えますが、幼い頃は、畑を荒らすかなりの“悪ガキ”だったという話もあります。

江戸で勉学に励んでいた弥太郎ですが、江戸へ出てわずか1年、酒席での喧嘩がもとで投獄された父親の事を知り、高知に帰ってきます。そして、父親の免罪を訴えたことにより、弥太郎自身も投獄され、その後、村を追放されます。
村を追放された弥太郎は、現在の高知市鴨田に住み、現在の高知市長浜で少林塾を開いていた吉田東洋のもとに入門し、才能を認められます。

ちなみに、吉田東洋は安政元年(1854年)に不敬罪(主君をないがしろにしたとされる罪)により蟄居(ちっきょ)。翌2年後に開いたのが“少林塾”です。

安政5年(1858年)の吉田東洋の政治復帰と共に、弥太郎は土佐藩に登用されることになります。そして、この頃から長崎へ視察に行き、海外事情を学び始めます。
慶応3年(1867年)、弥太郎は土佐藩の商社である土佐商会の長崎駐在員として長崎に赴任します。翌年には、土佐商会が大阪に移りますが、その後も、知恵と力のある弥太郎は土佐藩の代表者として手腕をふるったと言います。

三菱商事の起源です。
明治維新後、土佐商会は「つくも商会」と名前を改めますが、明治4年(1872年)の廃藩置県に伴い、弥太郎は「つくも商会」の施設を譲り受け、「三菱商会」を創設します。この時に、三菱の商標(三菱マーク)が定められたそうです。見慣れたこの三菱マークは、岩崎家の紋である三蓋菱と土佐藩主山内家の三葉柏の紋を組みあわせたものだといわれます。
元々、海援隊員でもあった弥太郎は海運業に力を入れ、「東洋の海上王」と呼ばれるまでに発展しますが、明治18年(1885年)、52歳の若さで亡くなりました。
http://www.webkochi.net/kanko/sanpo33.phpより)

=撮影日:2007年8月6日=
1.三菱のシンボルマークはここから・・・
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by shikoku-great1 | 2007-08-10 18:55 | 高知



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